目次

  1. 3月03日:プライバシーについて
  2. 3月12日:雑感あれこれ
  3. 3月18日:コーヒーは二人分で
  4. 3月21日:二人のトム
  5. 3月23日:正岡子規の言語感覚
  6. 3月25日:コーヒーミルについて
  7. 3月26日:子規の見た夢

プライバシーについて  [ 2005年03月03日 ]

自我は視覚・聴覚・嗅覚・触覚など、感覚器を通して現実とリンクする。感覚器が察知しないものは当然自我は知ることができない。例えば超音波は言葉としては誰もが知っている存在だが、可聴領域を超えているから聴覚がそれを察知することができない。超音波という用語を知らない限り自我が思い描く「現実」には登場しない。超音波でさえ、人間の感覚器の代用をする音響センサーがその存在を発見したわけで、間接的な人工感覚器によって察知された存在だ。

「現実」は全て観察された存在によって構成されるのだ。直接的・間接的な違いはあるが、それらは一旦人間が情報化することによって初めて「現実」に登場する。


ところで、今の日本は情報化社会と呼ばれている。インターネットはここ十年で飛躍的な発展を遂げ、携帯電話は持たない人間の方が少数派になり、猫も杓子もコンピューターが必要な時代になった。その勢いは当の人間さえも追いつかないようでデジタル・デバイドが社会問題になっている。

そんな情報化社会でとりわけ取りざたされている問題がプライバシーに関すること。住基ネットシステムの構築や監視カメラの増加によって個人の生活がさらけ出されることを国民は怖れるようになった。オレオレ詐欺や架空請求が頻繁に起こり、その警戒感はますます強くなっている。誰かに見られている・自分の秘密を覗かれている不安感はもう思春期の少年少女の専売特許ではなくなった。

国民は情報化社会が昔は守られていた個人のプライバシーを侵害していると思っている。しかし本当にプライバシーというものが昔は存在していたのだろうか。何故まったく接触の無い進学塾からころあい良くダイレクトメールが届くのか、それは彼らが既に全国的に家庭のプライバシー情報を掴んでいるからだ。コンピューターが一般に浸透する前からプライバシーはとっくに侵害されている。昭和中期までは「世間体」というものがまだ人々の肩に重くのしかかっていた。進学塾のダイレクトメールどころの話ではない。村や町などの共同体は近所づきあいなどという名目で住民の家庭の状況を常に監視していた。

冒頭にも書いたとおり、人間社会が作りだす「現実」は監視されたものだけが存在できる。情報化社会は人間が知性を持ってから既にフィジカルな側面で存在しているのだ。プライバシーというものは、自然では存在しない。プライバシーを守るにはとてつもない努力と情報システムへのリテラシーが必要なのである。

私の言いたいことはつまり、プライバシー侵害の問題を技術の進歩のせいにしないで欲しいということだ。本当の原因は情報リテラシーに関心を持たなさすぎた一般市民にある。無防備な体制はすぐに悪意によって食い物にされる。テクノロジーを勝手に利用するだけではなく、その仕組みを知ろうとする姿勢を持つようにしなければならない。

雑感あれこれ [ 2005年03月12日 ]

最近読んでいる本

最近はサンテグジュペリの『夜間飛行』とアリストテレスの『詩学』を読んでいる。『夜間飛行』のほうは表題作を読み終えて、その次の『南方郵便機』に取りかかっている。サン=テグジュペリはフランスの作家で、絵本『星の王子様』の作者でもある。『星の王子様』は中学生の頃にオリジナル版を読んで面白かったのを憶えているが、『夜間飛行』はそれを上回る面白さで、久々に読みふけってしまった。

『夜間飛行』は郵便飛行業を扱う航空会社の話で、飛行士のファビアンと航空会社の支配人であるリヴィエールを中心に置き、危険な夜間飛行業に従事する勇気に満ちた人間の姿を描いている。私の少ない読書経験を省みても、これほど人間を輝かしく表現できている作品は今まで読んだことがなかった、と言ってもいいかもしれない。詳しい感想は後に書評という形で書きます。

アリストテレス『詩学』は、主に悲劇の構造や手法についてを論じたもので、『必読書150』というブックリストに載っていたので、試しに図書館で借りて読んでみたのだが、正直に言うとあまり名著だという感じはしない。それは自分の読み解き能力の無さに原因があるのだと思うのだけれど、扱っているものが悲劇に限定されているというところが障害になっているのかもしれない。演劇というと、唐十郎の前衛演劇か劇団四季の『ジーザスクライスト・スーパースター』しか観たことがないので、悲劇というものにあまり実感が湧かない。『オイディプス王』などを読んでからの方がいいのかもしれない。とりあえず今は第二十一章「詩的語法に関する考察」まで読んでいる。

雑記の方針

更新頻度が極端に少ない当サイト「浮遊塔庭園」の中で、比較的更新されているのがこの「雑記」のコーナーなのだが、それでも今のところ記事は四件程度であるから寂しいものだ。もともと日記程度のスタンスで書くつもりが、良い文章を書こうと思ってついつい遅くなってしまうのである。こないだも中学の時の母校へ進路報告をしに訪れたことを雑記記事として書こうとしたのだが、途中で満足できずに書き直して未だ書き終えないでいる。

この状態をなんとかするために、雑記の執筆方針を立ててみることにした。以下のリストがその方針です。

今パッと考えただけだからまだ追加変更するかもしれない。いくら優良なコンテンツを追加しようと思っても更新が滞ってはしょうがない。だからといって内容も思いついていないのに毎日更新しようとしてしまうのも燃え尽きてしまうので、マイペースで更新していけるような方針にした。常体を基本とするのは単に書く姿勢が遠慮しがちになるのを防ぐためだけなので深い意味は無いデス。原稿用紙四枚以内というのは、五枚を超えると構成を考える必要が生じるため。

まあこんな感じで更新をしていきたいと思うので、よろしくお願いします。

コーヒーは二人分で [ 2005年03月18日 ]

珈琲(コーヒー)は二人で飲むのが一番美味い。それはムードによるものではなくて、実際に一人分の分量で淹れた珈琲と二人分の分量で淹れた珈琲を比べると、二人分のほうが深みが出て良い味になる。私がよく珈琲豆を買いに行く喫茶店の主人によると、一人分では珈琲粉も水も少なすぎて十分にうまみ成分を抽出することができないのだそうだ。初心者が美味い珈琲を淹れるコツは、とにかく珈琲粉の分量を多くすることらしい。確かに、一人分だけ珈琲を淹れると酸っぱくなってしまう時があるが、それは珈琲豆の成分を十分に抽出できていないからなのだろう。

だからといって、三人分も四人分も淹れてしまうと淹れる時間が長くなって肝心の珈琲が冷めてしまう。珈琲は加熱すると香りが飛んでしまうので、このように分量を多くしすぎても失敗してしまう。

だからやはり、珈琲は二人分の分量で淹れたほうが美味い。豆はなるだけ購入店の自家焙煎のもので、早いうちに豆を挽いて二人半ぐらいの分量でゆっくりとドリップしていく。手間がかかるが、珈琲好きにとってはこの過程も楽しみの一つなのだ。

今『優しい時間』というドラマが放送されているが、そのドラマの中で「遅く動く時計」について喫茶店の客が話していたことがあった。その客は時計店の主人で、とある客から「ゆっくりと動く時計」を造って欲しいと頼まれたことがあったそうだ。ゆっくりと動く時計というのは、一ヶ月ごとに針が動く時計とか針の刻む時間の長い時計のことで、それなら造れると思ってその主人はオーダーを受けた。だが実際造ってみると、それがどうしてもうまくいかない。百分の一秒など早く動く時計ならギアを細かくすればいいことなのだが、ゆっくりと時を刻む時計を造るには、とてつもなく大きいギアが必要になるのだという。結局時計店の主人はその客に謝って造るのを断念したという。脚本の倉本そうは多分、喫茶店こそがその「ゆっくりと動く時計」であると言いたかったのではないかと思う。親子の再会までの時を刻む喫茶店という時計こそが『優しい時間』のテーマなのだ。

珈琲というのはふさわしい時間・ふさわしい分量で淹れたときに初めて本当の味を飲み手の前に提示する。私は「美味い珈琲」こそが本来の人間に適した時間を刻む針なのだと思う。「珈琲は哲学だ」というセリフが何かの戦争映画であったが、珈琲好きの人はこのセリフに納得するはずだ。珈琲は飲み手の人間性を復活させる特別な飲み物だと私は言いたい。


いろいろ書きましたが、とにかく美味い珈琲を飲みたい人は二人分で淹れてみてください。忙しい時はインスタントもしょうがないですけど、たまには誰かとゆっくり珈琲を淹れて飲むのも心が安まって良いものですよ。

余談、もといひとりごと

あー、もう金曜日だ…。明日と明後日も更新しなければ…。いや題材はあるんだけどなあ…。

二人のトム [ 2005年03月21日 ]

レディオヘッドにはまる

先日TSUTAYAにてロックバンドRADIOHEADのアルバム「KID A」と「AMNISIAC」を借りてきた。「KID A」は“ロックのリトマス試験紙“と言われるほど独特なナンバーが詰まったアルバムなのだが、実際聞いてみるとそれが大げさでは無いことがわかる。電子音が奏でるメランコリックな曲調に、ヴォーカルのトム・ヨークの歌声が加工されまくった状態で流れる。デビュー当時の代表作「CREEP」と比べると、トム・ヨークの頭がイッちゃったのではないかと思うほどシュールだ。聴き続けていると頭がボーっとしてくる。精神病棟に流れる子守唄という感じだ。

RADIOHEADはデビュー当時から、周りから「見もふたも無い」と言われるような曲を作り続けている。初期の「POP IS DEAD」では曲目どおりPOP絶滅宣言をしてしまっているし、アルバム「OKコンピューター」中の「フィッター・ハピアー」ではトムが「抗生物質漬けのブタ」と呼ぶ男の日常を淡々と描いた詩をコンピューターの音声ソフトで朗読させた音源をそのまま流している。

しかしRADIOHEADがただの変り種バンドではないことは計算しつくされた感のある曲調からわかるし、「KID A」でグラミー賞をとり今でもイギリスのロック界を引っ張っている状況を見ればそんなことは疑うべくもない。

ライナーノートによれば、トム・ヨークは「99%の絶望」を音楽でもって描き出そうとしているらしい。「99%の絶望と1%の希望」ではなく、「99%の絶望」。その意味は、自分たちが生きる社会がすべて虚構のもとに成り立っているという現実に面と向かうということらしい。

これは実は非常に危険な試みなのだ。その絶望感は思春期に大抵の人々が体感するものなのだが、トムはそこにとどまって社会の虚構を見つめ続けようとしている。椎名林檎やCOCCO、鬼束ちひろなどはその絶望に一時は正面からぶつかったのだが、結局のところ「救われて」しまったミュージシャンだ。

今いる「現実」を虚構として捉え続ける。それは「マトリックス」のような生易しい状況ではなく、常に足元の感覚の無い、空中から落下し続けていくような恐ろしい試みなのである。

「KID A」というタイトルはこの世界のどこかで生まれているはずの史上初のクローン人間を指しているのだという。人間そのものさえもベルトコンベアの上に乗せられる時代を予感させるクローン技術はまさに無機的な社会像を表していると思う。RADIOHEADはヒューマニズムを剥奪していく社会システムを批判し続けることによって人間性を復活させようとしている。

そういった御託はおいておくにしても、RADIOHEADの「KID A」はとにかく革新的なアルバムなので是非聞いてほしいと思う。

トムクルーズについて

トム・クルーズ主演の「コラテラル」と「ヴァニラ・スカイ」を今週たてつづけに観た。「コラテラル」では今年度アカデミー賞を受賞したジェイミー・フォックスが事件に巻き込まれるタクシー運転手マックスとして出演しているのでその部分も見所なのだが、トム・クルーズの演技がとにかくよかった。初の悪役だと言っても、結局は最後に改心したりするのだろうなと私は思っていたのだが、最後の最後まで冷酷な殺し屋でいるのが驚いた。ラストは本当に鬼気迫る感じで、観る前のイメージを完全に裏切られた。

「ヴァニラ・スカイ」も、トム・クルーズの演技はなかなかよかったし、映画全体の質も良いと思う。(かなりイッてるストーリーだけど)上の記事に関連するが冒頭のシーンでRADIOHEADの曲がバックに流れていて嬉しかった。

考えてみると、トム・クルーズの出演する映画はアタリが多い。「ミッション・イン・ポッシブル2」では楽しませてもらったし、「ラストサムライ」でも外国人が作ったとは思えない質だと思った。たぶんその理由はトムが役者としてだけでなく、半ば製作者として映画製作に参加しているからだと思う。「ミッション」シリーズはトムが監督を選んでいる。「ヴァニラ」も元の作品である「オープン・ユア・アイズ」のリメイク権を取得したのはトムだ。彼は映画監督以上に監督的なセンスを持ち合わせているのだろう。

だが、驚くことにトム・クルーズは脳に障害があって文字を読むことができない。つまり台本を読むことができないのである。セリフを憶えるときはスタッフに音読してもらっているらしい。そのようなリスクを背負ってなお役者として活躍しているのだから凄いとしか言いようが無い。

トムはもうすでに五十代(嘘付け!>自分。訂正:四十二歳)らしいが、これからもすばらしい映画に出演してもらいたいと思う。

ところで、「コラテラル」の主題歌はどうもリンキンパークが歌っているような気がするのだが、クレジットを見逃して確認できなかった。誰か知っている人がいたら掲示板で書き込みしてください。

一言

えーっと、週三回更新というルールを早くも破ってしまったわけですが、今週残りの二回のノルマを上乗せして更新するつもりです。まったくまとまりの無い雑記ですが、今後ともよろしくお願いします。

正岡子規の言語感覚 [ 2005年03月23日 ]

正岡子規といえば、当時余興としてしか捉えられていなかった俳句を芸術文化として復興させた人物であるが、彼は明治35年5月から9月に他界するまで、新聞『日本』に随筆を連載していた。内容は日記的なものから病気についてのこと、与謝野鉄幹らの創刊した短歌・俳句の雑誌の批評など様々なことが書かれており、正岡子規が生きていた明治の文化が垣間見ることができる。現在ではこの随筆は岩波文庫「松蘿玉液」「墨汁一滴」「病牀六尺」の三冊の随筆集として出版されていて、そのうち「墨汁一滴」と「病牀六尺」の二冊を私は持っている。時々ぱらぱらと摘み読みすることがあるのだが、この二冊の中で特に目を引いたのが「春水の鯉」と題された十句の俳句である。

「春水の鯉」は「墨汁一滴」明治34年3月26日の随筆にて掲載されている。本文によれば、知人が正岡子規の自宅に、数尾の鯉を水を張った盥(たらい)に泳がせて持って来たときに詠んだ句であるらしい。以下がその俳句である。

  1. 春水の盥に鯉のあぎとかな
  2. 盥浅く鯉の背見ゆる春の水
  3. 鯉の尾の動く盥や春の水
  4. 頭並ぶ盥の鯉や春の水
  5. 春水の盥に満ちて鯉の肩
  6. 春の水鯉の活きたる盥かな
  7. 鯉多く狭き盥や春の水
  8. 鯉の吐く泡や盥の春の水
  9. 鯉の背に春水そゝぐ盥かな
  10. 鯉はねて浅き盥や春の水

「春水(春の水)」「鯉」「盥」など、17字中9〜10字に共通した語が用いられているにもかかわらず、それぞれの句の持つ雰囲気がまったく異なっている。特に2句目の「盥浅く鯉の背見ゆる春の水」と9句目の「鯉の背に春水そゝぐ盥かな」は、水面から鯉の背が突きだし、沈んでいくさまを表しているのだが、2句目では盥という空間の物理的な狭さを表し、9句目では盥を擬人法を用いて表現することにより、のどかな春の一風景という主観的な「柔らかい空間」を表している。そしてその二つの観点が「春水の鯉」という一つの作品として他の8句と括られることによって重なりあい、人間が感じる「春」という複合的な世界を適格に表現している。

正岡子規は文中にて「さはれ数は十句にして十句にあらず、一意を十様と言いたるこころみ。」と書き、この十句が分けることのできない一つの「作品」であると主張している。俳句界の巨人である子規が単なる言葉遊びのために「春水の鯉」を詠んだはずがない。子規は無駄なレトリックを廃する写生精神に加え、文章の宿命である単一に固定された視点からの脱却によって新たな詩世界を創り出したのではないだろうか。

コーヒーミルについて [ 2005年03月25日 ]

先日最終回を迎えたドラマ『優しい時間』の影響で、小型のコーヒーミル(豆挽き機)がかなり売れているらしい。『優しい時間』の舞台である喫茶店「森の時計」では、希望客は自分で店のミルを使ってコーヒー豆を挽くことができる。毎回喫茶店のシーンになると客がのんびりとミルで豆を挽いている姿が目に入るので、感化されてミルを購入した視聴者がいるのだろう。

私は1年前に珈琲ミルを購入して以来、一日に一回は豆を挽いて珈琲を淹れている。その経験から少し言わせてもらうと、「優しい時間」では客が優雅にミルのハンドルを回しているのだが、実際にはけっこう回すのに力がいる。ミル本体をしっかり手でおさえていても反動でガタガタ動いてしまう。さらに、豆の砕ける音がかなりうるさい。テレビの音とかがまったく聞こえなくなるほどだ。特にスーパーなんかで売っているコーヒー豆の場合は保存状態が悪く、固くなっているので、とても優しい時間のような優雅な挽き方は出来ないしマスターと「いやあ今日は嫁の結婚式があってね…」「そうでしたか」なんて会話はとうていできません。

「優しい時間」ではどうやってあの音を抑えているのか知らないのだが、実際に「優しい時間」ムードに浸ってミルを挽きたい方は、自家焙煎をしている喫茶店で炭火珈琲豆を買ってくることをおすすめする。豆が新鮮でかつ炭火で丁寧に焙煎されているので、驚くほどスムーズに挽くことができる。スーパーのとは雲泥の違いだ。私の行きつけの喫茶店では100グラム500円で購入できた。100グラムと言うと節約して大体6人分ぐらいなので、一人で飲む人はぜひ炭火珈琲豆を使用してほしい。味も保証シマス。

子規の見た夢 [ 2005年03月26日 ]

23日の「正岡子規の言語感覚」を書くために「墨汁一滴」をぱらぱらと捲っていたら、次のような文章に出くわした。子規の見た夢の話だそうだ。

昨夜の夢に動物ばかり沢山遊んで居る処に来た。その動物の中にもう死期が近づいたかころげまはって煩悶して居る奴がある。すると一匹の親切な兎があってその煩悶して居る動物の辺に往て自分の手を出した。かの動物は直(ただち)に兎の手を自分の両手で持って自分の口にあて嬉しさうにそれを吸ふかと思ふと今までの煩悶はやんで甚だ愉快げに眠るように死んでしまふた。またほかの動物が死に狂ひに狂ふて居ると例の兎は前と同じ事をする、その動物もまた愉快さうに眠るやうに死んでしまふ。余は夢がさめて後いつまでもこの兎の事が忘られない。

(「墨汁一滴」四月二十四日の項)

何とも奇妙な夢である。次々と動物たちに死を与えている兎はまるで死神のようだが、動物たちはそれによって苦しみから解放されて「甚だ愉快げに眠るように死んで」いく。ここでは「死」が救いとして機能している。

当時正岡子規は末期的な結核を患い、起きあがることもできない状態にあった。彼はこの五ヶ月後に他界するのだが、それまでの苦しみは想像を絶するほどのものであっただろうことは、「病床六尺」9月12日の稿の「支那や朝鮮では今でも拷問するさうだが、自分はきのふ以来昼夜の別なく、五体すきなしといふ拷問を受けた。誠に話にならぬ苦しさである。」という記述から窺える。夢の中での煩悶する動物は子規自身を表していたのではないだろうか。

兎といえば、仏教の説話にこんな話がある。古代インドのとある夜の森で修行僧が倒れていた。それを発見した猿と狐と兎は彼を介抱しようとした。猿は木に登って果実をとり、狐は川を泳いで魚をとって修行僧に食糧を与えた。しかし兎は木に登ることも川を泳ぐこともできなかったので食糧を調達することができなかった。そこで兎は修行僧に火をおこしてもらうよう頼んだ。いぶかしみながらも修行僧が火をおこすと、兎は火の中へ飛び込んで自ら食糧となった。修行僧は兎の徳の高い行いに悲しみつつも感心し、祈りをささげた。兎は天へと昇り、それ以来月には兎の姿が浮かび上がるようになった。

この話の兎と子規の夢の兎とを関連づけるのはいささか強引であるが、子規もこの説話は知っていたはずであり、死に直面し宗教について考えるようにもなっていたので、もしかしたら無意識にこの説話を連想していてあのような夢を見たのかもしれない。

病牀の子規が望んだのは苦しみからの解放であり、それはすなわち死であった。仏教ではまさにこの世の苦しみから人々を救うための教えであり、救われるためには欲を捨て「無我の境地」に達することが必要であることを説いている。

人の希望は初め漠然として大きく後漸く小さく確実になるならひなり。我病牀における希望は初めより極めて小さく、遠く歩行(ある)き得ずともよし、庭の内だに歩行き得ばといひしは四、五年前の事なり。その後一、二年を経て、歩行き得ずとも立つ事を得ば嬉からん、と思ひしだに余りに小さき望かなと人にも言ひて笑ひしが一昨年の夏よりは、立つ事は望まず坐るばかりは病の神も許されたきものぞ、などかこつほどになりぬ。しかも希望の縮小はなほここに止まらず。坐る事はともあれせめては一時間なりとも苦痛なく安らかに臥し得ば如何に嬉しからんとは昨日今日の我希望なり。小さき望かな。最早我望もこの上は小さくなり得ぬほどの極度にまで達したり。この次の時期は希望の零となる時期なり。希望の零となる時期、釈迦はこれを涅槃といひ耶蘇はこれを救ひとやいふらん。

(「墨汁一滴」一月三十一日の項)

「希望の零となる時期」が子規のもとに訪れたのかどうかは私にはわからない。ただ子規が結核の苦しみを通じて無我の境地へといたろうとしたのは確かだと思う。俳句は写生が基本であり、写生は「我」から離れて現実を捉えようとする行為によって成される。子規が俳句を芸術として復興させることができたのは、結核によって我が縮小され、俯瞰的な視点を得ることが出来たからなのではないだろうか。

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